ヨタへロ期

評論家の樋口恵子さんはシニアの時代を「ヨタヘロ期」と名付けました。

 

歩けばヨタヨタ、動けばヘロヘロ。

 

寝込むほど弱ってはいないけれど、人の助けを必要とすることが多くなる時期をヨタヘロ期というそうです。

樋口さんはシニアに対して次の2つのことを提案されています。

 

* 依存力を高めること

* いかに自分らしく生きるか、考えておくこと

 

「なるほど」と思いました。そして頭に浮かんできたのは祖母のことでした。私の祖母は、若いころから自由で楽しく生きてきた人でした。

 

ボランティアをやったり、絵を教えたり、小説を書いたり。

その自由奔放さは生涯変わることなく、そのライフスタイルは認知症になってからも

変わることはありませんでした。

 

なぜ私が祖母のことをブログで書いてみようかと思ったのは、樋口さんのおっしゃる

 

* 依存力

* いかに自分らしく生きるか

 

について祖母はかなり能力がある人だったと思うからです。

 

ある時、市役所の人が来て祖母に認知症のテストをしました。結果はかなり重かったように記憶しております。

 

寝るときはオムツをして寝るのですが、朝になるとオムツは床に投げ捨ててあり、トイレから自分の部屋までうんちが点々と並んでいました。

私が朝起きて始めにやることはうんちの始末と床の除菌でした。

掃除を終え祖母の部屋に行くと、

 

「またカラけっちゃんになっちゃった」

 

とあっけらかんと言うのです。

祖母はオムツをとったことも、カラケツでいることも全く悪いと思ってはいません。

 

「アー 清々した」

 

と言う感じで私に着替えを手伝わせます。朝ごはんを食べて部屋を片付け、午前中に入浴を済ませるのが日課でした。

樋口さんはこうもおっしゃっています。

 

『歳をとったからといっても誰もが呆けるわけじゃないし、呆けたとしてもやりたい事がある』

 

私は祖母のことを思い出しながら、こう思うのです。

 

呆けた自分でも「こうして生きていきたい」という性根みたいなものがすわっていると、認知症になっても自分らしくいられる。

 

祖母は入浴が終わると部屋のベッドでくつろいでいました。服を着る前に、私はマッサージをしてあげていました。そして色々な事を話しました。若かった頃の話、旅行で行ったところの話、そして大好きな政治の話。

 

今思うと、祖母はかなり上質な依存力があった人のように思えます。

私は不思議なことに、一度も祖母の介護をして嫌だと思ったことはありません。

認知症になっていても自分らしさを失うことなく、隣にいる人を幸せな気分にさせてくれる人でした。

私たち家族はそんな祖母の認知症が進んでも、いつまでも生きていて欲しいと思っていました。

 

自分らしく生きている人、やりたい事をやって満足度の高い人は他人への思いやりや共感性が高く、家族の中で孤立する事がありません。

当時の祖母を思い出し、老いることへのヒントを貰ったような気がします。

 

65歳になった今、私は自分らしく生きているのでしょうか?

こうして生きていきたいという性根はあるのでしょうか?

 

今の皆さんはどうですか。

 

コメントを頂けると嬉しいです。よろしくお願いいたします。

涼を感じるために買った植物です。

 

あえて何もしない一日

今日は、何もしない一日を過ごしてみました。

 

 

何もしない時間の中で考えたことは、家族のことと自分のことでした。

 

私は結婚以来40年、子育てと両親を含めて6人の認知症老人の介護をしてきました。

 

いま思うと、自分の能力以上の事を一人でやってきたことは子供達にとって、そして介護した家族にとって良いことであったのか疑問が残ります。

 

そして思ったのは、誰かに助けを求めるべきだったということです。

 

もう少し心に余裕があったら、時間がなくても食事の介助をしながら、

「今日はお母さんの好きなかじきの煮付けよ。お塩の加減はどうかしら?」

と母の反応を見ながら箸を口の中に運ぶことができたのではなかったかと思えるのです。

 

発達障害と知的障害、さらに腎臓病を患う長女は、幼稚園でいじめに遭い不登校になってしまいました。

幼稚園に行けない辛さや、友達ができない淋しさに耳を傾けてあげられなかった事を後悔しました。

 

 

 

私が、何もしない一日を過ごそうと思ったきっかけは医師の一言でした。

 

65歳になった今、身体に不調を感じ、かかりつけの先生に相談したりカウンセリングを受けに行ったりしました。

そこで言われたことは、「今までの過労が原因で身体に不調が起こり始めたのではないか」ということでした。よく眠り、身体を休めるように指導されました。

 

家に帰って、その事を次女に話すと、

 

「ママって、家でゆっくりしてたことある?」

 

と質問されました。そう言えば、介護がひと段落しても長女の対応や家事に追われてゆっくり過ごす時間などありませんでした。

 

「でもママ、ゆっくりするってどうしたらいいか分からない」

 

と答えると、そばにいる愛猫の大ちゃんを指差し、

 

「大ちゃんをお手本にしたら?」というのです。

 

え!ねこを見習えって???

私ってそんなにゆっくりしていなかったの?

 

言われて初めて気づかされたことでした。

 

大ちゃんはカーペットの上で、お腹を上にしてだれっとしています。

私が大ちゃんの事をまじまじと見つめていたその時、

 

娘が、窓を開けてくれました。

やさしい風が部屋の中に吹いてきて、窓辺に吊るされた南部鉄器の風鈴が「リーン」と涼やかに鳴りました。

 

その音色が、自分の心にすっと沁みこんでいくのを感じました。

 

今の私にはゆっくりする時間があります。心地良い風を感じ風鈴の音色に耳を傾ける余裕もあります。そして、もう色んなことを我慢しなくてもいいのです。

娘が言う「ゆっくりする」ってこんなことなのかなと思いました。

 

猫と娘と私はしばらくの間、風鈴の音に聞き入りながら心地良い風を感じていました。

「それでいいんだよ」と、自分自身に言ってあげることが大切なように思います。

 

 

こんな大切なことに気付かせてくれた、猫と娘と「何もしない時間」に感謝です。

愛猫の大ちゃん