あえて何もしない一日

今日は、何もしない一日を過ごしてみました。

 

 

何もしない時間の中で考えたことは、家族のことと自分のことでした。

 

私は結婚以来40年、子育てと両親を含めて6人の認知症老人の介護をしてきました。

 

いま思うと、自分の能力以上の事を一人でやってきたことは子供達にとって、そして介護した家族にとって良いことであったのか疑問が残ります。

 

そして思ったのは、誰かに助けを求めるべきだったということです。

 

もう少し心に余裕があったら、時間がなくても食事の介助をしながら、

「今日はお母さんの好きなかじきの煮付けよ。お塩の加減はどうかしら?」

と母の反応を見ながら箸を口の中に運ぶことができたのではなかったかと思えるのです。

 

発達障害と知的障害、さらに腎臓病を患う長女は、幼稚園でいじめに遭い不登校になってしまいました。

幼稚園に行けない辛さや、友達ができない淋しさに耳を傾けてあげられなかった事を後悔しました。

 

 

 

私が、何もしない一日を過ごそうと思ったきっかけは医師の一言でした。

 

65歳になった今、身体に不調を感じ、かかりつけの先生に相談したりカウンセリングを受けに行ったりしました。

そこで言われたことは、「今までの過労が原因で身体に不調が起こり始めたのではないか」ということでした。よく眠り、身体を休めるように指導されました。

 

家に帰って、その事を次女に話すと、

 

「ママって、家でゆっくりしてたことある?」

 

と質問されました。そう言えば、介護がひと段落しても長女の対応や家事に追われてゆっくり過ごす時間などありませんでした。

 

「でもママ、ゆっくりするってどうしたらいいか分からない」

 

と答えると、そばにいる愛猫の大ちゃんを指差し、

 

「大ちゃんをお手本にしたら?」というのです。

 

え!ねこを見習えって???

私ってそんなにゆっくりしていなかったの?

 

言われて初めて気づかされたことでした。

 

大ちゃんはカーペットの上で、お腹を上にしてだれっとしています。

私が大ちゃんの事をまじまじと見つめていたその時、

 

娘が、窓を開けてくれました。

やさしい風が部屋の中に吹いてきて、窓辺に吊るされた南部鉄器の風鈴が「リーン」と涼やかに鳴りました。

 

その音色が、自分の心にすっと沁みこんでいくのを感じました。

 

今の私にはゆっくりする時間があります。心地良い風を感じ風鈴の音色に耳を傾ける余裕もあります。そして、もう色んなことを我慢しなくてもいいのです。

娘が言う「ゆっくりする」ってこんなことなのかなと思いました。

 

猫と娘と私はしばらくの間、風鈴の音に聞き入りながら心地良い風を感じていました。

「それでいいんだよ」と、自分自身に言ってあげることが大切なように思います。

 

 

こんな大切なことに気付かせてくれた、猫と娘と「何もしない時間」に感謝です。

愛猫の大ちゃん